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造園家の志は生き続ける
井上元の「世のうちそと」
ジャーナルは社会に起きているさまざまな争点を伝えることも大事なことであると考える。2013年は大阪で造園家たちの運動があった年として記憶されるであろう。 新年あけの1月早々、大阪駅前での集まりは「大阪新梅田シティ庭園部に巨大緑化壁(高さ9�叩�長さ78��)が設置される」、その是非を巡っての景観問題を提起するものだった。会場には提唱者の安藤忠雄さんも呼ばれていた。ご本人はたいそう遅れて席について、「自分は事業主の積水ハウスに提案しただけだ」と発言し、「忙しい」との言葉を残して、早々に引き上げて行った。話を聞いただけでは、問題の核心には触れず仕舞いだった。 造園界の重鎮が語るには「この種のトラブルは昔からある」。施主とは争わず、なし崩し的に妥協してきたというのがいつもの結末だという。 小さな業界のニュースである。でも実際は造園家の信念が問われる重大な事件だった。皆が心を一つにして闘おうとまで迫る気はない。造園家が一律に同じ意見を持てとは言わない。まして関東の人にとっては、関西の話である。本質は正しく伝わらないうらみがある。牽引しているのは吉村元男さんで、京都のひとである。ひと昔前、庭園文化協会を立ち上げ、京都を中心に錚々たるメンバーを集め事務局長としてお会いしたことがあり、強く印象に残っている。優秀な人で話す内容に隙はなく、独立独歩の人であると見た。庭園を文化の一体物として考える人であるほどにスケールの大きい筋金入りのランドスケープ・アーキテクトである。 この業界は生物多様性を標榜している。業界の隆盛は経済力が背景になるのは致し方ない。いま元気がなく不景気なのは時代のせいもある。苦労したからといって金儲けができない時代だ。ただ、その人の考え方と行動で時代に新しい風を吹かすことはできる。 造園家は価値ある作品さえ残せば、死後に至っても、いつか必ずその価値が発見される。現代に生きる我々だって歴史に残る生き方を心がける必要がある。 ただし、生きるには夢が必要だ。 今回の安藤忠雄氏の一連のトラブルを見ると決して、市民の意思は反映されているとは言えない。本物ではない植物を壁に生やして「これも緑だ」と主張し、既存の風景を壊して巨大壁を立ち上げる。そこに何ほどの躊躇もない。国立競技場の審査委員長としての見解もしかり。あまりにも多忙過ぎるに違いない。 造園家・吉村氏の心中は他人に推し量れるものではない。75歳にして造園家の魂を売らない行動には実に見上げたもの。あっぱれというしかない。それも孤独の闘いともいえないところがステキだ。仲間がいる。少なくとも中橋鳥取環境大学教授という強い弟分がいることは、幸せな師弟関係と言える。 関東地区と関西では温度差がある。距離が介在する。学者と実務者の違いもある。いくら唱えたからといって高まるものではないことはよくあることだ。遠くからでもいい。少なくとも同じ職能の方は暖かい目で見守って欲しい。実際行動は無理でも、造園家の魂を引き継ぐことはできるはず。まず、彼らの行動に耳を傾けてみよう。彼らの相手は、大阪市でも、安藤忠雄でもない。緑の無理解に向けての運動である。グリーン・ファシズムは毎日の生活の中で起きている。誰に指摘されたわけでもないのに、どこから文句が来るわけでもないのに自己規制が働いてしまう人はこの世界には多い。 仲間のグループの動きに同調できず、時にはむしろ反対に回る。堂々と争点に自分の意見を開陳するということが少ない。そうして緑の心が失われていくことに危機を持たないのだ。感性の喪失が何とも残念である。 いまの時代の息苦しさを打ち破るのは常に若い人たちなのだが、世間と闘うことはしない。12月7日、吉村さんたちの運動は第2章に入った。造園家たちの志は生き続ける。微力ながら本紙も応援団として見守りたい。
( 2013/12/15 )
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