三大紙コラム競演
日本の新聞で三大紙といえば、読売、朝日、毎日の3紙を指す。戦時中の新聞統廃合で一般全国紙が統合されたのだ。近年では毎日に代えて日経を入れることもある。問うべきは発行部数よりも内容を重視すべきだとおもうのだが、いかがか。
新聞報道には公共的使命があるとされる。多様な言論に紙面を供し、議論を深化させる役割を合わせもつ。報道の自由は民主主義の根幹である。新聞は情報を知るだけの道具ではない。自分のペースでじっくりと読み、眺め考える。これはテレビやラジオでは無理である。時代が変わり、人々の生き方が変化していっても新聞の基本的役割は変わらないはずだ
日本の戦後70年は戦争がなかったことと自由と平和、繁栄を得た幸福な季節を過ごしたことを感謝すべきだろう
新聞には「社説」がつきもの。が、しっかり読み込んでいる読者はそう多くはない。その点1面コラムは人気がある。朝日は「天声人語」、読売は「編集手帳」、毎日は「余禄」、日経は「春秋」
新年1月1日の3紙コラムを読んでみた。どんな人物が挙げられているのか。その1。元政法師、神里達博、太田南畝。「この時代、混乱を覚悟しながら、のんびり行くしかない」とのべなが迷い、ためらいながらの多難な道行になることを覚悟せよ」とある。その2。ルミ・ド・グウルモン。金継ぎの人生に深いものがあるとの考察。このコラムも「どこかの誰かの心の傷を継ぎ合わせる金の一粒に」なれれば。その3。芭蕉。「文化を異にする人々が共に生きる制度や理念が崩れていく不安の中で新しい年を迎えた」
いずれも達者な文章で、一流のコラムニストはたいへんな筆巧者である。前途よろよろなのに前途洋々と説き、四海波は高いのに四海同胞を唱える
道家の術で仙術を心得た者が肉体を残して、魂魄だけ抜け出る術を、シ(戸)解と言う。 ( 2016/01/10 )
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