どういうことなのでしょう。休日の午後、整然と美しい「公園」には、子供はおろか、ほとんどの人の姿がみえません。きれいに刈り込まれた園芸品種と、カラフルなアスファルト舗装、そして奇抜なデザインの遊具たちは静まりかえっています。一方多摩川を越える私鉄鉄橋そばの河原は、家族連れやカップルで賑わっていました。そこは枯れた葦がまばらにのびるだけの、電車や車の騒音がうるさいところです。彼らはなぜそこへ?広いスペースが欲しかったから?いいえ、彼らは気ままにすわり、川を見ていたり、魚や虫を探したり、お弁当を食べたりと、決して「広さ」だけを求めて来たのではないようです。じゃあ自然を求めて?しかし以前よりきれいになったとはいえ、大きな排水口の開くそのあたりは時折ドブ臭く、ゴミも散乱し、背後にはビルが迫ってきているのです。彼らはたとえ「天然」ではなくとも、少しでも自由で自然な「広場」を求めてやって来たのではないでしょうか。近所のりっぱな「街区公園」では、得られないものを求めて。私たちにとって、そんな「広場」たる「公園」とはどんなところだったのでしょう。「自然公園」ではないのです。人が集まるところ、そこで一番重要なのは、 人の気持ちではないでしょうか。

 「管理」や「整備」ばかりの公園なんて、なにが面白いのですか。「もしも」を恐れているばかりの公園なんていりません。その責任を行政に押しつけているだけの公園もいりません。本当は、地域みんなの公園のはずです。使い方で、意見がぶつかってもいいじゃないですか、とことん話し合えば。そうでなくては、「地域のコミュニケーション」なんて単なる看板です。そこが「地域の問題の根っこ」になってもいいじゃないですか。みんなの心休まる「原っぱ」でないなら、見守る人、使う人、お互いの顔が見えない「広場」なら、いじれない「場所」なら、参加できない「対話の場」なら、そんな公園はいりません。


第5回(1998年)のみどり提言賞は、「新しい“みち”を求めてー環境道路への提言」「新しい“教育”を求めてー 環境教育を語る」「新しい“公園像”を求めて ー こんな公園はいらない」「新しい“水”を求めて ー 水環境を検証する」をテーマに、募集期間〜98/03/31・681通のご応募がありました。
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